アーティストと教育
かつて八幡はるみ先生に誘っていただいて、染織コースの大学院ゼミに参加していた時期がある。学位論文の指導を手伝ってほしいということだったと思う。部外者ながら加わったところ、学生たちは意欲があって、関心も染織にとどまらず、ファッション、アート、カルチャーなど広範な領域にわたっており、発表を聞くのも楽しく、授業を心待ちにするようになった。ゼミには大高亨先生とその指導学生も加わり、なかなか賑やかであった。
今回の展覧会に出品する作家のほとんどが学生としてゼミにいた。それぞれ制作の方向は異なっても、自分の世界を作り上げようと格闘している姿勢は共通しており、見ていてその真摯さに胸を打たれたものだ。
八幡先生はものづくりの姿勢を熱心に教えられていた。ものづくりに専念するためには、それ以外の夾雑物をいかに取り除き、作業に集中する環境をつくるかが重要である。論文は早めに片づけて、時間はできるだけ制作に使うべし、と考えておられた。私の知る限り、英米のアートスクールは理論のリサーチに時間を使い、そちらが作品よりも評価されることもある。しかし、日本の美大では理屈より、作ることこそ至上であり、どれだけ充実した作品を仕上げるかが最大の勝負であった。作品の講評会では、先生が寸鉄人を刺すような批評を繰り出して、学生のものづくりへの覚悟を問うていたのが印象に残っている。
また、教室で考えたテーマを深めるため、夏休みに東北地方や島根県の現場をたずねるゼミ旅行に出かけたことも楽しく思い出される。各地の工房や工場、美術館やギャラリーを見学したことは、学生たちにとっていい息抜きになったことだろう。そういえば先生は制作に限らず、恋愛や結婚などプライベートな話題にも触れられていた。女性アーティストにとってなにが大切なのか、細やかな心配りをされていたのだろう。
当時ゼミでは、染織はアートなのか、クラフトなのか、デザインなのかというテーマをよく議論した。布を作るのは伝統的には工芸の領分だが、美大の中でそれをすることはアートとクラフトというヒエラルキーのなかに置かれ、かつデザインという産業社会の現実と対峙しなければならなかった。アートの道を行くなら素材・手仕事へのこだわりから自由になることが求められ、布から離れることは不可避となる。さらに、工芸が生存できる場所は小さく、デザインに進むのは作家を断念することになりかねず、いずれも学生にとってはアポリアである。染織はそのような困難を宿命的に抱えたジャンルであり、若手作家はそこをどう越え、自分の居場所をつくり出すかが問われるのだ。
八幡先生も染織作家はなにを世界に発表するのかという葛藤を引き受けたクリエイターである。そしてこの問いにどう応えたのか、作品で示し続けてきた。彼女のもとからこれほど多士済済な作家が出てきたのも、学生たちにその格闘を目撃させたことが大きい。知識としてものを教える<啓蒙>と、自分の存在を通してその背後にある創造の領野を見せる<教育>とは、まったく別ものである。そうした教育の場に立ち会えたことは、学生だけでなく、私にとっても大変な僥倖であった。