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座談会Vol.1  2021年5月22日、ギャルリ・オーヴにて

西岡(山元)桂子、川野美帆、八幡はるみ

西岡・今日はよろしくお願いします。えっと・・・一応テーマみたいなものを4つくらい考えてきました。

八幡・いやぁ・・・どんな質問がくるかドキドキする。

西岡・こないだ YouTubeで落合陽一が喋っていたのを聞いていて、ああほんまやなと思ったことがあって。

八幡・うん。今朝の我が家の朝ごはんの時の会話も落合陽一だった。

西岡・おお!やっぱり落合陽一は話題になりますね。彼は、「大学とは独自の価値観を保ち続け、世の中になびかないような価値観を生み出し続ける場所だ」というようなことを言っていたんです。それって大学の理想の在り方だなって思ったんです。

八幡・うんうん。

西岡・でも、私が院生や講師として京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)に関わる中で、この大学の企業としての「見え方」を意識する姿勢みたいなのを感じる場面が何度かあって。

八幡・入学者数とか、キャリアとか就職率のことね。

西岡・はい。でも一方で、落合陽一の言うような、理想的な大学と実感することもありました。特に大学院の2年間は、自分の足が地面から20cmくらい浮いている感覚で過ごしていて、京都芸術大学の建物の周りには空気の壁があるような気がして、安心して作品制作に集中していたというか。八幡先生は、大学という場所をどう捉えながら過ごしてこられたのかなと思ったんです。

八幡・うわ〜。すごい大きなテーマ。笑

西岡・いやー、大学という体制側と学生の間に挟まれてストレスがあったとか、そういうこともおありだったのかなとか・・・。

八幡・それは、まあ、どの時代の話をするのかっていうことでまた全然違いますが、基本は、「大学は新しい価値を創造する場所」っていう、落合陽一の価値観と私も全く重なる。知識を教え、スキルを教え。それでも人間は育つかもしれないけれど、人間が育つために必要な究極の学習は「考えること」だと思う。

西岡・自分で考えるってことですね。

八幡・そう。だから、教わったスキルは「考える」ために活かす。これからの時代、会社は潰れるし、夫は失業するし、何があるかわらないよね。そのときに、自分ひとりでもなんとか生きていけるだけの思考力。それを育てることが一番大事なことじゃないかなって。それは私の中には、ずーっと昔からあるのね。で、その「育ち」を達成するために、落合さんのような考え方もマル。で、ちゃんと社会の流れに乗っかって、実務をしてお金を稼いでみようというのもマル。だと思うね。私の中ではそれは両方あっても、矛盾がないというか。やり方としてはね。

西岡・私がここだけ地面から浮いているような気がしていたあの時期って、現実から隔離されて、守ってもらって、無駄でダラダラした、良い時間を過ごさせてもらったなって感覚があって。

八幡・そうね。だからすごく考えたんじゃない?自由だし、どう考えようと誰も文句言わないし。大学では、常識的でないことが評価されるというか。四年間でその訓練がすごくされたんだと思う。

西岡・でもなんか、今の人たちを見ていると、やることが多過ぎて、無駄がないような気がするんです。

八幡・それはそうかもね。

西岡 これもYouTubeで誰かが言っていたんですけど、「何をやるかではなく、どう在るか。DOじゃなくてBEが大事だ」って。

八幡・どういうこと?

川野・何をするかじゃない。

西岡・はい。やることを先に考えるんじゃなくて、自分がどう在るかを考えろと。八幡先生が言う「考える」ってことかなと思うんです。でも、自分がどう在りたいかを考える間もなく「やること」が多いんじゃないかって。

川野・今の学生は、「やること」ばかりになっているかも。私たちが学生やった頃より忙しそうですね。

八幡・でも、メニューが多いことに親御さんは結構満足されますね。放っておかれて学生が時間を持て余しているより、忙しいくらいのほうが、ここの大学は手厚くしてくれるんだっていうことを評価してらっしゃる。

西岡・ずっと誰かに言われたことをやってきていた人たちが、去年のコロナパニックみたいな頃に、急に仕事がなくなったり、やれていたことがやれなくなったりして、ちょっとマトモで居られなくなったみたいな話を聞いたことがあって。BE がない人たちにとってはとても大変だったと。さっきの八幡先生の「どういうことがあっても生きていられる、自分で考えられる」の話に繋がるなと思いました。

八幡・なるほどね。落合陽一のもう一個の話していい?

川野・西岡・はい!

八幡・今朝の食卓での話題だったんだけどね。落合さんがたまたま乗ったタクシーの運転手さんが「自分はもう何も考えずに生きていたいわ」とぼやいていたらしく、「考えろ考えろ」って教育しているけど、落合さんは「考えて生きなければいけないのか。考えなくても良い社会も捨てたものじゃない」って言っていたの。考えなくても生きていけるっていうのは、今までやってきた教育、私が信じてきたことの真逆。それってなんか、すごいよねって二人で喋っていたのよ。

西岡・その話知っています。落合陽一は「自己責任」という言葉を嫌いだって。考えるのが苦手な人にまで「考えろ」って自己責任を押し付けるのは違うって。考えるのが苦手な人は考えなくても良いように、考えるのが得意な人がリーダーシップをとっていくのが「社会」だみたいなことを言っていましたね。

川野・「強いリーダーシップ論」やね。得意不得意やね。役割分担。

八幡・昔、ビートたけしも「個性皆無教育」もいいんじゃないかって言っていたな。でも、「いやいや、やっぱりこれからの世の中ではそれは通用しないんじゃない?!」っていうのが私の今朝の結論。これから本当に何が起こるかわからない時代に突入する。そのときに考えない人、指示待ちの人はいち早くこぼれていくやろなって。会社を見限って次のステップへ行くとか、サッサと離婚して別の人生探すとか。とにかく、いっぱい考えないとこぼれ落ちて行くなって。そんな気がするよねっていう話をしていた今朝の食卓でした。笑

西岡・なるほどですね〜。

川野・話を戻して。八幡先生の教員人生の中での矛盾というか。大きなストレスを抱えるようなことはありましたか。

八幡・大きなストレスを抱えるような自己矛盾?

川野・そうですね、大学側の「やらせよう」っていうところと、八幡先生の中で「もっとゆったりさせてあげたい」とか、そういうのはありましたか。

八幡・う〜ん、そうやね〜・・・。人ってさ、絶対変わる。変わらない人の方がおかしいって私は思う。大学も、昔は「アーティストを育てる」を掲げていたのに、今や「100%就職を目指す」みたいな。大学の方針が一気に変わる場に遭遇した。そこでやっぱり、小さな悩みはあった。「ほんとにこれでいいの」って。だけど何故大学はそこまで考え方変えたのかなって、冷静に考えてみたら、奨学金ローン問題とか、いろんな問題があるよね。奨学金ローンで苦しむ学生に「夢を追いなさい」ってお尻叩くのってどうなの、とか、やっぱり一回社会に出て嫌な上司のもとで働いてみる経験も悪くないかな、とか、親の脛かじらずに自分のお金だけで100%自由に生きてみる、家具も服も自由に買うっていうのもいいかな、とか。そういうメリットのところも考えるとね、やっぱり大学出てしっかり就職するっていうのも悪くはないなっていう気もする。でもだからといって、数字で追うものでもないでしょとも思う。ただね、去年の四年生で「起業する」って言い切って、ビジョンを持ったうえで就活しないって決めた子がいるのよね。その子のそのあり方を大学は認めて、就職しないといけない学生という枠から省いたの。割と早く。だから、大学もそういう部分は柔軟だなとも思う。だから、矛盾というか、時代の変わり目に「今までの私の考え方とは違うな」っていうことは時々あったんだけど、それは私にとって考えるきっかけだったし。順風満帆にいかないことも、ちょっと楽しいかなって思ってきた。私に与えられた試練、乗り越えてやるぞ、みたいな感じ。だからずーっと引きずっている矛盾っていうのはないわ。2〜3年は引きずるけど、徐々に解決策を見つけるって感じかな。

川野・西岡・なるほど〜。

八幡・私、素早く解決することがいいことやとは思わないね。

川野・ああ、はい。

八幡・何年かかけて自分の考え方を軌道修正していくみたいな仕事は楽しい。

川野・なるほど〜。おもしろい。

八幡・なんか、時間軸のことってみんな飛ばしがち。時代のこととか。その価値が絶対かのような話し方するけど、絶対変わる。10年前と、今と、未来と。だから、どの時代のこと話すのかってことを決めて話さないと話が噛み合わないよね。

川野・なるほど、そうですね。

八幡・昔と今とでは、私自身も違うなって思う。

川野・大学が方針を変えていったのっていつ頃だったんだろう。

八幡・うーん。やっぱりあれじゃない?絵画や彫刻が美術の王道だった時代から、変化したことじゃないですか。コースがどんどん増えていったよね。デザイン、プロダクト、映像、漫画、キャラクター、アニメーション・・・。そういうジャンルって、一人ではやっていけない、チーム仕事が多いよね。だから自ずと会社へ入っていくよね。だから、「芸術大学=純粋美術」じゃなくなった時代かな。

川野・なるほど〜。

八幡・あなたたち二人はまだ「ザ・芸大」だった時代の人たちよね。

川野・美術工芸はチームでの仕事というより、個人個人での仕事が多いですよね。

西岡・私、本当にチームが苦手です。笑

八幡・私もそう。なんでも一人でしたい。

西岡・えっ?!そうですか?!

八幡・高校生の時にチームの仕事が嫌で美術の道を志したんやもん。学園祭のキャンプファイヤーでみんなで肩組んで歌歌うの、これは無理や!って。笑

川野・それは嫌ですね。笑

西岡・ちょっと次の話題なんですけど。先生の長い教員人生の中で「教育」って先生にとってどうだったのかなと思って・・・。

八幡・なにその漠然とした質問。笑

西岡・すみません。

八幡・まあ、若かったころは教員という仕事が収入源っていう意識ね。

西岡・教育とは、なんて考えないという感じですか。

八幡・しっかり考えてなかったかもしれない。自分の制作時間が集中的に確保できるのが教員だった。アーティスト活動のほうに重心があったからね。それがだんだん面白くなってきたのは、短大の最後あたりから四年制の頭あたりの学生との付き合いが濃かったから。いや面白かったね。だって朝、学校行ったら、西岡さん(山元)が手ぐすね引いて待っているし。朝9時から。「先生!ちょっと質問あるんです。」「昨日聞いたあのお話は何と無く腑に落ちないので、もう一回話したいです」とか言って。すごいしつこい!笑 

西岡・(苦笑)

川野・(爆笑)

八幡・そうなるとさ、こっちも真剣に考えざるを得ないし。そういうやりとりが面白かったね。真剣に考えだすようになったのはやっぱり、短大の専攻科に残った学生たちとか、今回同窓会でお世話になってる北村奈世さんとか、彼女らと話したこととかが大きいな。その頃、小名木先生が専攻科の学生と教員とで早朝研究会を始めようっていうようなこともあって。対等にディスカッションしたり。

川野・へえー。

八幡・一週間に一回、先生が調べたことを持ち回りで発表して、それについてみんなでどう思うか言い合うっていう時間があったの。そのへんから、おもしろいなって思った。

西岡・学生に対して、入学してきてから、卒業するときにはこんな風になっていて欲しい、みたいな気持ちってありますか。

八幡・やっぱりそれはさっきと同じで、多様な考え方が得られたかなっていうこと。答えって一つでは
ない。こっちの生き方も正解やけど、こんな生き方もきっといいだろうし、みたいなことで。なんかこう、自分を苦しめない考え方を見につけてくれたらいいな。

西岡・すごい。

八幡・高校時代って「こうじゃなきゃいけない」みたいな、「髪の毛は黒くなくちゃいけない」とか、「お母さんにはこういう娘じゃないといけない」とか、みんなすごく窮屈な時代を過ごしてきて、それからこの大学に来るでしょ。「親の意見は二十歳すぎたら気にしなくていいよ」とか、「髪の毛の色はいくらでも変えられるから何色でもいいよ。でも結局黒が一番楽よ。」とか、まあ、そんなことを伝えられたらいいよね。

西岡・なるほど。

八幡・なんでもいいねん。多様な経験をして欲しい。人殺さへん限り、どんな失敗でもオッケーや!

西岡・最高の先生や・・・。

八幡・二人の失敗談を聞かせて欲しいわ。笑

川野・え〜。なんやろ。三回生の時の合評で新道先生にめちゃくちゃ怒られたことある。

八幡・あー覚えてる!

西岡・すごい。お二人ともそのシーンを覚えているんですね・・・。

川野・美術館で見たかっこいい作品の展示の仕方とかをただ真似した雰囲気だけのような作品を作ったことがあって。

八幡・三回生ってみんな、背伸びしたい、かぶれたい、そういう時期なんよね。

西岡・ありますよね、小手先だけ系の作品作る時。でもそれも練習ですよね。

川野・そうやねん。やってみないとわからへんしね。

八幡・カッコいいスタイルに憧れる時期やね、三回生って。

川野・そのときは「こんな作品絶対認めへん!」ってめっちゃ怒られて。「もっと自分と向き合え!」って。

西岡・熱いですね・・・。

八幡・あの頃って、作品が完成するまであんまり先生は言葉を発しなかったよね。

山元・そうですね、全く何も言ってもらえなかったですね。

八幡・そうでないと、合評会で批評や意見を言えないもん。「先生あのとき、こう言ったじゃないですか」ってなっちゃって。でもね、今の子は作る前に聞きたがる。

西岡・失敗したくないんですね。

八幡・そう。だからって、こっちが喋っちゃうと、なんかね、学生が自由に制作できなくなってしまう。

西岡・私がこちらで一昨年、授業させていただいたときも、今の学生さんは本当に失敗することを嫌がるんだなって思った覚えがあります。

八幡・失敗と成功が二極化してしまっているのよね。彼女たちの常識の中で。失敗と成功の間には限りないグレーゾーンがあって、できるだけ成功に寄せる努力をすればいいんだけど、そもそもその二つがものすごく分かれている気がする。頭固いよね。でも、それは昔からで、その頭の固さを解きほぐすところが芸大。

西岡・なるほど。

八幡・で?西岡さんの失敗は?

西岡・今先生がおっしゃったグレーゾーンというか、ものすごい失敗とだれかに褒めてもらえるような作品の、どっちともないというか・・・何ということもない作品を作っている期間がすごく長かった・・・。

八幡・(爆笑)そうやったそうやった!

川野・どういうこと?!

西岡・なんか、何ということもない期間・・・

八幡・あった。あった。一皮剥けないみたいなね。

西岡・はい。SOU・SOUのデザイナーの脇阪克二先生が合評に入ってくださることが何度かあって、ずーっと「これは違う。」って言われていました。「あなたらしさってなに?」「これはあなたらしくないよね。」ってずっと言われていて。ずっと混乱していました。

八幡・それは何回生のとき?

西岡・三回生の後半から四回生の前半あたりでしょうか。四回生のあるとき、作った作品を見て、脇阪先生が「うん、やっとだね。」みたいに言ってくださったことがありました。

川野・なるほどねー。

西岡・でもあの、大失敗にもならない、何ということもないあの長い期間は、大学だからこそ過ごせた時間だという感じはします。苦しかったですけど。

川野・やっぱり三回生ってそういう時期なんかな。

八幡・そうね、三年生から四年生のはじめくらいはそういう時期ね。

西岡・そしてそういう時期に「これは違う」って言ってくださる先生が居てくださることはとてもありがたいですね。

八幡・なんか、西岡さんが大学院のときの論文発表の時、横内先生(建築家)になんか言われてなかった?

西岡・あ、コンビニの話ですか?

八幡・そうそう!どんな話やっけ?何度聞いても面白いので言って。

西岡・なんか、確か私が美術作品においてホワイトキューブ至上主義はどうなんだみたいな話をしたら、横内先生が「じゃあ君は君の作品がコンビニで売っていてもそれで良いのか」みたいなことを言われて、「はい、いいと思います。」って私が答えて。そしたら、畠中先生が横内先生の方を向いて、「この子が言っていることはこうでああで」みたいな感じで発言されて。もはや私は置いてけぼりでお二人の議論が始まったんです。笑

八幡・それは畠中先生は西岡さんを擁護する立場でお話されてたの?

西岡・そういうことだったと思います。すごく面白かったです。

八幡・良い時代!

西岡・私、あの大学院二年間のプレゼン戦争時代に、だれかに何かを発表するときは、笑かすか、怒らすか、何かせねばいかん!ということをものすごく学びました。

八幡・(爆笑)それ、太字で書いておいてね。

西岡・あの、あの頃の美術工芸系のぼくとつな学生の「自分と向き合う」などという発表を聞いてたら、もうグッタリしちゃって。笑 やっぱり物議を醸すというのは本当に大事だなと。

八幡・(笑)そうね、スルーさせない。だって、50人くらいのプレゼンを3時間かけて聞くんやもんね。一人あたり2分ずつね。

西岡・波も何も作らず発表する人たちは、どういうつもりでこのみんなの時間を使ってるねん!って思っていました。その頃はとんがっていたから!

川野・(爆笑)

八幡・確かに、先生同士がバトルし始めるような発表のときって、やっぱり発表の内容が面白いからそうなってしまう。

川野・そうかもしれないですね。

西岡・でもなんでもそうかもしれないですよね、インスタでもブログでも、笑かすか怒らすような内容にする、みたいな。

八幡・でも、怒らせて炎上するのは嫌やから、笑かすしかないね。(笑)さて、他に質問はある?

川野・最近の面白いことはなんですか。

八幡・最近の面白いことか〜。面白いこと減ったな〜。

西岡・面白いことって減るんですか?

八幡・(笑)面白いことって減るんですかって・・・その質問も面白い。やっぱり、若い頃はやらねばならないことがすっごく多かった。学校来る、学生たちと話す、子どももまだ小さい、料理もしないといけない、やること多いでしょう。

川野・めちゃくちゃ多いですよね。

八幡・ねえ?!だから、こう、気持ちを切り替えていかないといけない。だからしんどい。しんどいけど、今から思えばそれは全部楽しいことだった。子ども育てることも、犬飼うことも、料理も楽しかったし・・・。なんとか時間作って制作すること。みんな楽しかった。それが今はほとんどなくなってきているから、精神的に楽だけどね。

二人・あ〜〜〜〜。なるほど。

八幡・うん。だから、やることが何もなくなるっていうのが、実は嬉しいことなのだっていうことがちょっとずつ見えてきた感じ。だからといって、退職して本当にやることがなくなったらそれは苦痛に変わるかもしれないのだけど。今はまだゴールがちょっと先だから、すっごいなんか・・・嬉しい気分。なんか、すごろくの上がりがもうすぐ先に見えている感じ?もう1回サイコロ振ったらもう上がれるみたいな、なんかそんな優越感(笑)。みんな5マス戻るとか、ふりだしに戻るとかやっているのに、私はゴールさせてもらいます!みたいな(笑)。それを楽しさというのかなあ。まあ、みなさんもあると思うよ、20年後30年後くらいには。

西岡・ということは、面白いことはしんどいってことでしょうか。

八幡・そういうことかもしれんね〜。

川野・しんどいは面白い。

八幡・うん、しんどいことをしんどいだけって思ってしまうと勿体無いよね。

西岡・じゃあ今は、とんがりはないけれど、楽しいって感じでしょうか。

八幡・そうやね。軽くなっている感じ。責任から解放されつつある感じ。学生たちも自分の子どもも一応、ちゃんと育っているし。学生も卒業して、こうやって展覧会作ってくれるでしょ。だからなんか、ちょっと嬉しい気分よ。

西岡・今私、BTSが大好きで。BTSの動画をみて、音楽を聞きまくる。そんな生活が半年以上なのですが。家の中がグッチャグチャで、子どもたちがギャーギャー騒いでいる中、BTSの音楽を聴きながら、グッと集中して塗り絵を塗ったり、コラージュをしたりしているんです。それが今、とても楽しいんです。自分からすると、その時間は趣味の時間というより、やらねばならない表現活動だったりするんです。

八幡・うんうん。

西岡・全くプレッシャーがないので、めちゃくちゃ楽しいわけです。その塗り絵やコラージュをしている瞬間が。一方で、工場に行くと、誰かが待っておる表現活動、制作をせねばならないんです。

八幡・家でBTS聴きながらやっているのは何の制作なの?

西岡・それはもう、誰に見せるでもないけどやらねばならない制作です。

川野・ケイコロールとは繋がらないような?

西岡・いえ、自分としては同じなんです、「表現」としては。でも、工場でのケイコロールとしての制作は、誰かが待っていて、納期があって、予算があって。で、その予算があるから、それ以上コストがかけられない。例えば家での塗り絵だったら、ここをもっとしっかり塗りたいなと思ったら時間かけて塗れるけど、工場での仕事でそれをしてしまったら原価がグッと上がっちゃう。そういう、なんか、めいっぱい他のことを考えながら作る感じ。同じ表現なのに、家での塗り絵と工場での染めものと、全然違っていて。二極化されている感じが自分の中にあって。このギャップをどうやってなだらかにしたらいいんだろうって。同じになったらいいのにって。

八幡・同じになるかなあ?

西岡・ただ楽しく塗った塗り絵もお金になればいいし、染めものもクライアントが待っていても時間かけて楽しく制作ができるとか、そんな風になればいいのになって思ったりします。

八幡・うん、今の話はよくわかる。自分だけを満足させるモノを作っているときってやっぱり楽しい。だけどね、例えば私、亡くなった猫の写真をもとに屏風を作ってくださいっていう依頼があったの。

川野・そういうお仕事も受けるんですか?

八幡・うん、受けるのよ私。で、その方の趣味はカラフルなものではないって知っているの。でも縁あって私に依頼された。だから、その方の趣味にできるだけ寄り添って、気に入ってもらえるように、その方に忖度し、おもねって作るの。そうやって作るのも、好きやねん。だから私は、あなたの言う、ギャップを埋めるということにはならないよ。自分のために作るのも好きやし、誰かのために作るのも好き。どっちも好き。両方楽しい。内容は同じにはならないんだけど。猫ちゃんの色のない白黒の世界も好き。クライアントのためのこういうモノも作った私、が好きになる。

西岡・なるほど〜。

川野・そうなれたらいいな、私はオーダーの仕事が辛い・・・。

八幡・あ、そう?!辛い?

川野・はい、前に作ったこういう雰囲気で、大きさはこのサイズで、こんな色合いで作ってくださいっていう依頼が結構あるんですけど。

八幡・楽しめないのね?

川野・楽しめないですね。

八幡・一回作ったモノのコピーってしんどいよね。ゼロから作るならいいのよね。既に作ったあんな風なモノって言われて、そこの近づけようとするのってしんどいよね。

西岡・私が今喋っていたのはそれではなくて、クライアントは「任せます」って言ってくれているんです。でももう、追い立てられている感が嫌なんですよね・・・。

八幡・わがままやな。(笑)

西岡・(笑)そうなんです、社会人に向いてない感がすごいんです。

八幡・でもそういう仕事めちゃめちゃしているよね。

西岡・それはやっぱりお金が・・・。

川野・そういう依頼があればあるほど、逃げたくなる感じはわかる。

八幡・でも今、そういう依頼すごく増えてきているんじゃない?

川野・そうなんです、今日こそあの仕事やるぞと思って机に向かうんだけど、気付いたら動画や韓国ドラマ見出したりして。あっという間に時間が過ぎて・・・ああ、今日も私、あかんかった・・ってなるんです。(笑)

西岡・え〜?川野さんのそんな話、なんだか勇気が出る。

川野・ええ?ほんと?私そんなことばっかりよ。

八幡・毎日さ、何時間くらい制作に割いているの?

川野・途切れ途切れです。子どもが学校行ってから大学に出勤するまで、子どもがお風呂入っている間、寝てから。

西岡・うわあ。偉い。

川野・休みの日は集中してできるし。でもそういう日はNetflixとか、ついつい・・・そっちに行ってしまう自分がありますね。

西岡・いやーほんとそうですよね。

川野・時間があっても捗るわけではないしね。

八幡・時間のかけ方は難しいよね〜。

西岡・八幡先生はそういうことはあるんですか?

川野・八幡先生はそういう切り替えが上手ですよね。

八幡・私は時間使うの上手いと思う。なんか、何もしてない時間ってないの。朝起きた瞬間から寝る瞬間まで、絶対何かしている。

西岡・そういう八幡先生からすると、今の私たちの話みたいなのは、どういう風に聞こえているんですか?

八幡・そりゃ、家の中の世界は知らないけど、でも私から見たらちゃんとやることやっている風に見えるよ。二人とも思いっきり仕事しているように見えるよ。だって、子ども二人もいるのよ?もうそれだけで十分じゃない?子育て真っ盛りなんだから。でも、仕事も持っている。

西岡・あ、時間の使い方が上手いとかじゃなくても、もっと大きく見たときに、やること出来てればそれでいいじゃない?ってことですか?

八幡・そうそう。どこかをはしょっているんだと思う、ご飯作る時間減らすとか。でもそれはそれでいいじゃない。

川野・なるほど。

八幡・私もすごく料理好きだけど、理想的な時間のかけ方はできてないの。朝、仕込みしておいて夜はそれを焼くだけ、とか。だからトータルな時間でいうと、どの主婦よりも料理の時間は短いという自信があるの。

西岡・それはズボラではないですよね。

八幡・うん、ズボラではない。私としては効率良くやっているということ。ご飯食べた後は仕事もしない、何もしない、テレビ観る!(笑) 至極の時間。

川野・そして寝る!ですね。

八幡・そう、女性ってそうやって時間をやりくりせざるを得ないよね。通信の学生さんの話なんだけど、彼女は夫が家を出発した瞬間から自分の制作を始めるんだって。で、夫が帰ってきた瞬間に、朝の洗い物とか洗濯とか、家事全部を夫がいる時間にするんだって。そうすると、夫は彼女が家事をしている姿しか見てない。そして夫がいない時間は一切の家事をしない。それって、なかなか良いなぁって思って。

川野・それ、わかる。いない間に見えない家事したって誰も気付かないし、その労働がもったいない。(笑)

西岡・わかります。もったいないですよね。家事もパフォーマンスですよね。

川野・そう、家事もパフォーマンス!見せないと。

西岡・先日、四人目出産したお母さんと保育園で会ったんです。彼女、全然ヨレヨレしてないっていうか、シャンとしていてスタイルも良いし、「いつも素敵だけど、何かトレーニングでもしているの?」って聞いたら「全然よ!だって家で一回も座らないよ!もう毎日の生活がトレーニングだから、プロテインだけ飲んでいるわ!」って言っていました。私、家で立っている時間の方が短いし(笑)。

八幡・どんだけ座ってんの(爆笑)。

川野・でも仕事では立ちっぱなしだよね?!

西岡・家では床と友達です。いつも寝っ転がっている。

八幡・家の中は知らないけど、いつも発信しているいしいろんなところで仕事しているし、やっているように見えているよ。

西岡・なるほど・・・。あ、八幡先生はご自分の見せ方ってどう思われていますか?

八幡・セルフマネジメントってこと?

西岡・前に先生が、「私は文章も作品も、完成させるまで誰にも見せない」って仰っていて。私はインスタの文章とかでも、そんなに練ってから投稿するわけじゃなくて。あと、ユーチューブとかでもそうですけど、結構プロセスも見せるし、中途半端なものも見せちゃうじゃないですか。今も先生は、完成されたものを発信するという感じですか?

八幡・文章書くときの癖がそうなっているね。文章って、自分が書いた文章なのでよくよく理解できるのだけど、その文章をだれかに読ませたとき、意外と同じ理解じゃない場合がある。そのズレがすごく嫌なの。自分が書いている思いを、そのままその人に理解してもらいたいっていうのがある。だから、推敲する癖がついてしまっているね。

西岡・なるほど。

八幡・この間、徹子の部屋に上野千鶴子さんが出ていたの。やっぱり彼女のの話し方って説得力あるなって思った。単なる自分の考えじゃなくて、考えの裏にはちゃんと証明できるデータを持っているんだよね。学者さんだから。印象的な話はしない。この何年で、社会保障はこれだけ(数値見せながら)充実したんだよ、だから徹子さん、私たち一人で死ねるよ、とかさ。

川野・はい。

八幡・人にモノを言うときってさ、漠然と抽象的なエッセイを言ってもなんかあんまり信憑性ないでしょ。ああ、これは単なる意見ね、で終わっちゃう。でもそうじゃなくって、説得したいときは説得できるような文章を書かないといけないなって思うんだよね。

西岡・なるほど。

八幡 そういう意味でいうと時代遅れかも。今の、サッサとしたノリの文章が書けないから。もしかすると、SNSでの発信みたいに気軽に発信している内容の方が正直に伝わるかもしれないしね。

西岡・今の先生のお話では、正しく伝えたいってことだと思うんですけど、もっと「こう見られたい」みたいなのはありますか?

八幡・うーん・・・それはないかも。こう見られたくない、というのはある。

西岡・なるほど。川野さんは今のお話のようなことありますか?

川野・私もこう見られたいっていうよりは、こう見られたくないの方が強いかな。こう見られたいって思っても、現実と違いすぎて。山元さんは?

西岡・私、すごくズボラですごく社会性がなくて、人に合わせられないから、それがすごくコンプレックスで。だから人に合わせられる人に見られたいとか。

八幡・それはさ、努力してもできないの?そうじゃなくて、そこに価値を置いてないからやらないだけという話ではないの?

西岡・あ〜。なるほど。

八幡・家汚くても死なないよって思っているからそうしているのかもよ。

川野・私は、世間や人に合わせようとして、しんどくなっちゃうってのがある。だから最近気にしないでおこうって思っているところ。「お母さんってこうでなければいけない」っていうのとか、社会的に植え付けられてきたんだなってことにやっと気付いて。

西岡・刷り込み的な。

八幡・私が思うに、お母さんっていう役割が一番しんどいね。

川野・「お母さん」っていう言葉を使った瞬間、自分を否定しちゃう。

西岡・あんなにちゃんとした子どもを育てておられるのに!川野さんの息子さんは、折り紙博士だし。

川野・(笑)折り紙が大好き。

八幡・そうなんだ。その好きを伸ばしてあげたいね。どうやって折り紙に出会ったの?彼は。

川野・初めはLaQ(ラキュー)っていう有機的な立体物が作れるブロックにハマって。行っていた保育園は時間割りみたいなのがなくて、やりたいならやっていて良いよっていう保育園で。彼の集中力をすごく褒めてくれて。で、五歳くらいのころに折り紙の本を一冊買ったら、ずっと折ってて。

八幡・すごいね。

川野・何かひとつのやりたいことを見つけるとご飯も食べずにやっていますね。

八幡・そういうところに気付いてあげられたのが良かったね。周りの人たちが。

川野・保育園の先生たちのおかげかな。今は、小学校で勉強しなきゃいけないとか、みんなとペースを合わせないといけないとか、そういうのもある程度一生懸命やっている。

八幡・二番目の彼は?何が好きなの?

川野・彼は演技が好き!彼の話聞いていたら実は作り話で、騙される(笑)。きっと周りの人たちも騙されているんじゃないかな。

西岡・二人で全然タイプが違う。

八幡・山元さんところの子たちは?

西岡・うちも、一人目の娘が空想がちで。ずっと頭の中で物語を作っていて。二人目の息子はピタゴラスイッチみたいな装置を何かしら作っていますね。タイプが違う。

八幡・いやあ、二人とも、お母さん真っ盛りだね。楽しいね!この三人が寄ると女子会モードになってしまいます。でも、一人で何役もこなすこの二人の女子は強いと改めて思いました。最後まで聞いてくださったみなさん、他愛のない話にお付き合いいただき、ありがとう。